自分にとっていちばん大切なひとといる時に、ふと思う事がある。
もし、今このひとを失ってしまったら...と。

白の花



「おそい!もっと早くこいでよ、祐二」
僕の自転車のステップに乗って衣代がはしゃいでる。 もうつき合って二年くらいになるけど、こんな彼女は久しぶりだと思う。 しかも学校帰りの下り坂をふたりで降りるのはこれが初めてだ。 彼女は電車通学だし、そのうえ男のひとにふれるのをずいぶんと 怖がることがあった。
だから、自転車の後ろに乗って僕の肩に手を置いてる事自体、信じられないことだった。今までの彼女には絶対ない事だ。 何があったんだろう...。 ふと、そんな不安がよぎるけど、彼女には聞かない事にした。この空気を壊してしまいたくはなかったから。
「どこに行くつもりか、早くきめてよ。もうすぐ街にでるよ」
僕は見えない彼女に催促する。もう街は見えてきてる。僕らの学校は山の上にあるけれど、その山さえ降りてしまえばそこはもう 大都市の一角だ。デパートからカラオケからタコヤキ屋まで、なんだって ある所だから不自由することなんて少しもない。まあ、制服のままだと 行動範囲が少し制限されるけど...。
雨上がりの木々に挟まれた長い下り坂の途中で、風の音まじりに見えない 彼女の声が響く。
「別にどこだっていいじゃない。一緒にどこか、ぶらぶらしようよ」
「そうだね」
彼女らしいと言えば彼女らしい答えだったから、僕も妙に納得してしまって そのまま行き先も決めずに自転車をすすめた。 木々の下をくぐり抜けると、もうそこにはビルやデパートが立っていた。 突然景色が変わると同時に人の数も一気に増えた。 僕が自転車のスピードを落とすと、彼女はステップから跳び下りて僕の隣でゆっくりと歩き始めた。 とりあえず、二人で歩くのに自転車は邪魔だったのでそのへんに停めてから、 僕たちは並んで歩きだした。
制服のままカバンを片手に街を歩いてるから、学校の教師に見つかったりしたら それはそれで危ないんだけど、今日はもう気にしない事にした。せっかく衣代が自分から誘ってくれたんだから...。
「昨日ね...。久しぶりに夢、みたの」
僕の隣を歩く彼女がつぶやく。道路沿いの街路樹をぼーっと眺めながら。
「...どんな夢だったの?」
ガードレールの向こうを走る車の音は絶えなかったけど、彼女の返事はなかなか声にならなかった。じっと...、歩きながら前を見ているだけで。ただ、いつもみたいな笑顔が無かった。車や、行きかう人々の声、街の雑音の中、小 さな小さな声でつぶやいた。
「...嫌な夢だった」
...一体彼女が何を言いたかったのかわからなかったけど...彼女が言いたくないという事だけはわかったから、それ以上は僕も聞かなかった。ただ、街の雑音だけが黙り込んだ僕たちの間を通っていくだけだった。
「ね、どっかで買い物しない? 」
突然、彼女はこっちに向き直って僕に言った。それもずいぶんと元気な声で。
「...え?」
あまりに突然すぎて、僕の頭はちゃんと彼女の言葉についていってなかった。逆に、目の前にいる彼女の顔にはもういつもの笑顔が戻っていた。
「せっかくここまで来たんだから、何か買っていこうよ」
「あ...うん。...そうだよね」
「行こ!」
衣代は勢いよく僕の手をとって走り出した。僕はよくわからないままに 突然走らされた。 街の人々がこっちを見るけど、彼女はそんな事は気にもせずに人々の間を縫って 走り続けた。
自転車に乗ってる時は気がつかなかったけど僕を引っ張る衣代の手は ひどく冷たい感じがした。まるで体温がないみたいに。
走るのをやめた頃には、だいたい街の中心近くにまで来ていた。 僕も衣代も少し息が荒れていたけど、なぜか二人とも笑ってた。 理由なんかわからないけど。 理由も無くおたがいの顔を見て、理由も無くお互いに笑ってた。 こんな空気は初めてだった。 衣代は走って乱れた長い黒髪を後ろに束ねながらつぶやいた。
「ほんと、久しぶりだね。こんなにばかな事してるのって」
乱れた息を整えながら、僕も同じ事を思ってた。 走りに走ったせいで、僕らの額にうっすらと汗が滲んできてた。僕が目で彼女に、手前のデパートを指すと、彼女もそれにうなずいて ふたりで大きなガラス扉を押して入った。このまま外にいても、汗をかくだけなのはわかってたから。べつに喫茶店に入ってもよかったんだけど、彼女は僕が今日は予備校が ある事に気づかって、わざと入らないでいてくれた。 二人ともしゃべり始めたらなかなか止まらないから。 代わりに僕たちは3階のファッションフロアにやって来ていた。 女性もののところに。
「また白?  この前も白、買わなかったっけ?」
僕の一言に彼女はふくれながらつぶやく。
「いいじゃない。好きならそれで」
制服を着てる間はわからないけど、実際ふたりで私服で街に出るとよくわかる。 今の彼女の好みは白なのだ。もうカバンから靴下まで。 今見てるのだって白ばっかり置いてる棚だし。
「去年まで、白なんか大っ嫌いって言ってたのに」
衣代は手の中にあった白の帽子をギュッとつかみながら僕をにらんで言った。
「そんな昔の事、言わないでよ、恥ずかしいから。昔話って好きじゃない」
「...どうして?」
僕はわりとよく昔の事を話したりするから、彼女の言葉が少し不思議に思えた。衣代は帽子の棚に振り向きながらつぶやいた。
「こう...なんか、逃げてるみたいじゃない? 『あの頃は良かった』みたいな。ああいうのって大っ嫌い」
「ふうん...」
僕からは彼女の後ろ髪しか見えなかったけど、だいたいどんな顔をしてるかくらいはわかった。その小さな手で白の帽子をもったまま、 スカートのポケットから出てきたサイフと相談し、「よし!」とだけ つぶやいてレジへ行ってしまった。
...これで上から下まで全部、白だ。
...衣代の「真っ白ショッピング」が終わった頃には、もう日が暮れかけていた。まだ、赤い空とまではいかないけど、それでも西の方の空は色が変わりかけていた。日が暮れるのもこれから、どんどん早くなってくるし、気温も少しずつ下がってくる。 ...もうすぐ冬がくる。僕らはとりあえず、走ってきた道をゆっくり歩きながら戻ることにした。自転車を放りっぱなしだったから。都市のわりと中心だから、車道もすごく広くて車の音は絶える事がない。もう彼女もほしいものは買ったから、あまり道沿いのお店に目をやる事もなくて、じっと考えこむみたいに黙って歩いてた。僕も彼女にあわせてずっと黙って歩いていたけど、僕らがこんなに何の話もせずに歩くなんて初めてのような気がする...。
この道も何度も歩いたけど、つまんない話をしてた覚えしかない。
「...祐二」
ふいに彼女の声がして僕が隣に目をやると、衣代はその手を 僕の腕にそっと絡ませた。僕を見るわけでもなく、ただ 腕を組んで歩いただけ...。けれど、...普通の恋人なら当たり前の事かも知れないけど、 衣代にとって ...これはすごく勇気のいる事だと思う。 理由は最後まで教えてくれなかったけど、彼女は男のひとに触れるのが ひどく怖いと言ってた。
...そんなの一日や二日で治るものじゃない。 その怖さを押しきってまで、僕にふれるにはそれだけの何かがきっと あったはず。それは彼女の言ってた「嫌な夢」と関係があったのかも 知れない。 けど、僕は衣代の冷たい手がやけにかわいそうに思えて...、 何も言えなかった。ずっと歩いているだけだった。
「ここでいいよ。祐二も予備校に行かなきゃ...」
衣代はそう言って、僕の腕からそっと...冷たい手をはなした。駅前の大きな交差点での事だった。信号が変わって、人の波が 流れ始めても僕らは動かずに、道の隅でじっと立ちつくしてた。 別れる前に、ひとつだけどうしても聞きたかった。 これは彼女に聞いてあげるべきだったんだ、と思えた...。
「...何があったの?」
衣代は、しばらくは何も答えなかった。答えたくなかったのかも知れない。
「...自分でも、よくわかんない...」
その一言だけだった。 時間と人だけが流れ続けたけれど、僕と衣代には何の変わりもなかった。 ...これ以上はお互いに踏み込めない。ふいにそんな事を思った。 僕にはもう時間があまり無かったから、信号が変わったので行こうとした。 衣代の横を通って彼女が視界から消えたその時に、僕の後ろから... 衣代から、つぶやくような声がもれた。
「...ひとつだけ、どうしても言いたかった」
僕がゆっくり振り返ると、彼女もこっちを見ていた。僕らの距離はさっきより半歩ほど ひらいていた...。
「...祐二に会えてよかった」
少しだけ...、ほんとに気持ち程度にだけど...、衣代が笑ってた気がした。衣代はゆっくりと距離を狭めてきて...そして、僕の横を通り過ぎた。
「ばいばい...」
そんな声が聞こえた気がした。本当に彼女がそう言ったのか、わからなかったけど。 振り向くと、彼女は横断歩道を小走りにわたっている所だった。もう彼女は後ろ姿しか見せてはくれなかった。 僕はただ動けなくって、じっとその姿が駅の中に消えてゆくのを見守る事しかできなかった...。
...その夜だった...。彼女の向かった駅で電車が止まってしまったと聞いたのは。 ...原因は人身事故だ...って。
その時になって、やっとわかった。 ...彼女の言ってた「嫌な夢」の意味も、僕にふれる事しかできなかったわけも...。 彼女が何を言いたかったのかも...。

「本当に突然だったな...」
クラスメートの直樹がつぶやいた。 僕がおかしな行動を取らないように、と心配してくれてここ数日、ずっと一緒に いてくれてる。彼女がいなくなって一週間がたったけれど、墓にやって来たのはこれが初めてだった 。
...怖くて来れなかった。それだけの話。
まだ、墓石はなかったけれど、そこにはたくさんの花がそえられていた。 紫とか黄色とか...いろんな花が。直樹は今日は花を持ってはいなかった。昨日来たばかりらしいから。
「俺、外で待ってるからな」
そう言いのこして、直樹は墓地から出ていった。僕だけが、墓地にひとり残された。 一週間ぶりに...やっと彼女とふたりきりになることができた。 ...祐二に会えてよかった... ふいに衣代の言葉が聞こえる気がした。 僕は彼女の最期のひとことに、返事をしてはいなかった。
「...僕も会えて嬉しかった...」
そっと...、一言だけつぶやいて、花束をいくつもの他の花の中にそえた。衣代が最期まで好きでいた...白の花を。
「...もういいのか?  もう少しここにいてもいいんだぞ?」
墓地から出た僕を見て直樹が言ってくれた。でも、僕の方はもう気持ちの整理はできていた。
「...あんまり昔話って、好きじゃないから」
「...そっか」
直樹が僕の背中を軽くたたいて、隣を歩きはじめた。

...ほんとうに、会えてよかった...衣代。


fin
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます!

小説感想フォーム

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます!
いかがでしたでしょうか?
もしも、この作品を読んで「面白い」「つまらない」など、何か感じられましたら、
是非ともそのご感想を管理人しのぶにまでお送り頂けないでしょうか?

小説書きにとっては、読者様の感想は(たとえどんなに短くても)
最高のやる気の種、反省の素になります!
今後の創作の参考にもさせて頂きますので、ぜひともお送り下さい。
送信は下のフォームから簡単に送れます。

ぜひともよろしくお願い致します♪


年齢(任意)

性別(任意)



どの小説を読まれましたか? (必須)
 青い薔薇
 真夜中のカフェ
 夏の蝶
 失くした指輪
 心という小さな部屋で
 言葉ひとつぶん
 白の花
 夏の蝶
 ALL MY TONE
 M
 【長編】 桜舞う雪道を


良かった点(なければ全体のご感想のみでも結構です)


悪かった点(なければ全体のご感想のみでも結構です)



全体の感想 (必須)