Shinobu Presents
宗教の授業が終わって、みんなが席を一斉に立ちはじめた頃、後ろの席に座っていた栞を振り返ると彼女は数学の問題集の上で見事に熟睡中だった。私は真一君と目を合わせると二人で笑いあう。 「本当にこれで頭良いの? 栞って」 「実はカンニングしてたのかも」 二人、席を立ち、栞を軽くゆすって、眠りから覚ましてやる。 寝起きの栞はさぞかし不機嫌だろうと覚悟はしていたけれど、実際に起こしてみると、多少ぼーっとしてはいたけれど、不機嫌という言葉には全く縁がなかった。 珍しく大人しい彼女を連れて、私と真一君は人波の最後部にくっついて聖堂を出る。最後に扉をくぐる前に聖堂を振り返ると、誰もいないその空気は本当に神様を信じてしまいそうな雰囲気を漂わせていた。それまで宗教というものにはあくまで、距離を置いていたけれど、聖堂だけなら、来てもいいかもしれないと思い始めていた。 「ねえ、これからどうする?」 寝起きの栞やっと口を開いたのは、中庭の通路を行っている時だった。私と真一君が振り向くと、彼女はバツが悪そうに中庭の木々を見ながら、髪をいじっていた。私はそんな彼女に思わず笑い出しそうになりながら、話をつなげた。 「今日は特に用事ないけど。近くのお店で何か食べる?」 と言うと、彼女は何かを思い出したのか、急に私を指差して言った。 「敦司の家行こう。あそこなら昼食も食べられるし」 「あ、いいねそれ」 と真一君も同意する。彼も言うという事は、土曜日の午後は生徒会はないという事だろう。あったら彼はちゃんと出席するはずだから。 「敦司君の家ってどのへんなの?」 中庭が終わり、数段の短い階段を上がると本館へと足を踏み入れる。 「一駅くらいよ? 未帆は反対側だから定期は効かないけど、往復したって500円もかからないから。どう?」 冷たい廊下を歩きながら、うなずいた。今、その敦司君のクラスの前を通る。半分開いたままのドアからは彼の姿は見えなかった。見えないあたりの席に彼が座っていたのだろうけど、栞は何のためらいもなく、そのクラスに入って行った。 私と真一君が二人残され、敦司君のクラス前の廊下で壁にもたれて待っていた。 「真一君も来るんだよね?」 彼は首を傾けてうなずきながらも、「ちょっと遅れるけど」と断りを入れた。 本当に多忙な人なんだと思いながらポケットに手を入れると、冷たい金属の感触が指を伝う。しばらく黙って待っていると、話を終えた栞が後ろのドアから姿を見せた。私は壁から身を離して、彼に手を振ってから栞と階段を上がって行った。 階段を上がっている間、栞の話を聞いてはいたけれど、意識の半分以上はポケットの中の冷たい十字架に釘付けだった。指先で触れると、細い十字架が確かにそこにあるのが感じられる。 「未帆、もう鞄持ったらすぐ行くよね? 敦司もすぐ来るって言ってたし」 「うん」 廊下の窓から見える外の景色は雲に覆われていて、今にも雨...いや、雪が降り出しそうな空だった。少し空が重たい。何気なく、そう感じた。 敦司君の家に行くためには、まずいつも通っている駅にまで来なければならない。 真一君はちょっと用事があるという事で、違う電車に乗って行き、私と栞と敦司君の三人は反対側のホームで電車を待つ。ホームから見えるデパートやバス停もどこか少し寒そうにじっと佇んでいた。もうコートが必要かもしれない。そんな事を思っているうちに、電車がホームに入って来た。乗り込むと暖かい空気が迎えてくれる。 「敦司君の家って駅からすぐなの?」 吊革に両手をかける敦司君に聞いてみる。確か一駅と言っていたから、学校からはかなり近いはず。 「駅からちょっと歩くけどな、別に心配する程遠くはないさ」 「て言うか、なんであんた自転車通学しないわけ? 十分行ける距離でしょ?」 私も栞と同じ事を思っていた。東京にいた頃は二駅分の距離を自転車通学していた友達もざらにいたから。 「雪道をさ、自転車で行って事故った事があるんだよ。小学生くらいの時。それ以来、ちょっと怖くてさ...」 「なんか意外に間抜けね、あんた」 栞がきつい一言を吐くと、電車は彼を慰めるかのようにゆっくりと停車して、ドアを開いた。再び冷たい空気に晒されながら、ホームへと降りる。学校のある駅とは違い、自動改札機も二つしかなく、順番に並んで通る。降りる人は本当に少ないから、混雑する事は少しもなかったが。 駅を出ると、まず目の前に小さなバス停があり、その向こうには坂道が続いて、住宅街へと上っていく。左右は一本のわりとおおきな道路が通っていて、その道沿いにはスーパーは本屋などが並んでいた。少なくとも、駅の雰囲気から想像するほどの小さな街ではなかった。なのにどうしてあの駅は人が少ないんだろう。 「こっちだよ。あの本屋の向こう側くらいに家があるから」 と言って敦司君はバス停を迂回して大通り沿いに左へと曲がる。近くに見えた本屋は意外と遠かったけれど、そこまで歩くのに10分もかからなかった。ただ、歩道にも雪があるせいでどうしても多めに歩いたような気がしてしまう。 敦司君と栞が立ち止まったのはとある喫茶店の前だった。明るい感じで、窓から見える店の中には植木がいくつか飾られていて、喫茶店というよりは木造のアクセサリショップというような、綺麗な雰囲気の漂うお店だった。どうして敦司君の家が近いのに喫茶店に入るのだろうかと不思議に思うと、栞がお店の中を見やりながら、 「ここが敦司の家。敦司のお母さんって喫茶店経営してるのよ」 と言った。敦司君は本当に自分の家の玄関の戸を開けるみたいに、喫茶店のドアを開けた。 「入りなよ」 と、彼がドアを半分開けたまま手招きする。私はちょっと予想外の事だったのでテキパキと動けず、栞に背中を押されて中に入った。 中はお客さんはこの時間だからほとんどいなかったけど、耳にうるさくない程度に、かつ黙っていてもその空気を埋めてくれる程度の良い音量でクラシックがかかっていて、なかなか見つけられないような穴場の喫茶店と言ってよかった。 明るい木のカウンターの向こうには大人しそうな感じの女性が一人、コーヒーカップを棚に並べていた。 「替わるよ、休みなよ」 と言って敦司君はカウンターの向こうの女性に彼の鞄を預ける。女性は「ありがとうね」と言いながら私達にも軽く挨拶する。彼女が敦史君のお母さんなのだろう。ずいぶんと若いので少しとまどってしまいながらも、何とか挨拶を返した。敦史君のお母さんは彼の鞄を持つと、後ろのドアを開けてそこから奥へと入っていった。 「好きなとこ座れよ」 彼はエプロンを着けると背中に両手を回して紐を括りながら、カップのある棚の方へと移動した。カウンターの席に栞と隣り合わせで座ると、彼はまずホットのレモンティーをカップに注いで栞の前に出す。もう彼女は常連と化していて、注文しなくてもレモンティーが出てくるようになっているようだった。 「未帆は何にする?」 彼はカウンターの隅にあった小さなメニューを私の前に出して、飲み物のページを開いてくれた。見てみると、紅茶からココアまで、だいたい普通の喫茶店にあるものはそろっている。 「えっと、じゃあ...ホットチョコレート」 「了解」 言って、彼はコンロに火をつけて小さななべをその上においた。男の人が料理している姿というのもあまり見かけないせいか、私はめずらしい感じがして、じっと彼の手つきを眺める。 「未帆ってさ、ひょっとして甘い物好き?」 隣の栞がレモンティーを置くと私に尋ねた。 「かなり。もう甘いものなら何でも」 「だと思った。そんな雰囲気だし。確か真一もそうよね?」 と、栞が声をかけると、敦司君は器用になべを揺らしながら軽くうなずいた。 「真一君、用事があるって行ってたけど、来るのかな...」 私の言葉に、彼女はカウンターに両肘を突いて、敦司君の手つきを覗き込んだ。 「多分、いつものお墓参りだと思うよ? すぐに来るでしょ」 「ふーん」 彼はどうも几帳面な人なのかも知れない。私なんか、お墓参りなんて年に数回行ければいい方なのに。 よほど素敵なおじいさんか、おばあさんだったのだろう。 そんな人が家族にいるのもうらやましい事だった。 私は真一君を待ちながら、だんだんと香ってくるチョコレートも待ち続けた。
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桜舞う雪道を-
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