Shinobu Presents
真一君と二人きりで会う時は、時計を外そう。そう思う。 彼は、もう私の傷の事を知っているから。 左手の手首に手をかける。手錠の様な時計を外し、ポケットの中へとしまった。 最終話 「私達の答え」 教会の扉を大きく両手で開いた。中から溢れる光が私を迎えてくれた。隣の真一君が扉を支え、私を中に入れてくれる。二人で教会へ来るのはこれで二度目だった。 前回と違い、今日は授業が終わった後なので外では人の声がする。教会内は、それでも人を寄せ付けず、私達だけのために空けておいてくれたように静かだった。 高くそびえる十字架に向かい、胸に十字を組み、そっと彼を振り向いた。彼も胸に十字を組む。見上げる彼は、昨日とは別人のようだった。私自身も、昨日の告白で生まれ変われたような気がする。それが本当なのか、今だけなのかは神様と、ずっと先の自分だけが知っている事だった。 「昨日、あれから色々考えたよ。未帆の事、自分の昔の事、専門学校への編入の事…」 私に背を向け、まるで神様に語るかのように十字架の下へと歩く彼。十字の下で私に振り向いた。 「聴いてもらえるかな」 彼が目をやった先には黒のグランドピアノ。私は相変わらず教会の中央に立ったまま、そっとうなづいた。 初めて聴いた時からそうだけれど、彼のピアノに触れる仕草一つ一つが好きだった。鍵盤に触れる指や揺れる身体、その表情、奏でる音。全てが。 曲が教会内を音で満たす中、私はゆっくりと、歩き出した。彼の傍へと。 目を閉じてみると、その音の表情が、以前聴いたものと別人のように聞こえる。「気持ちを伝える事のできない」彼の音が、はっきりと感情を見せてくれているようだった。 昨日、私が伝えた気持ち。それをそのまま返してくれているように。別人のようになったと感じているのは、私だけではないのかも知れない。 私の顔には、もう笑顔が浮かび始めていた。 彼の曲が終わる前に、もう次に出てくる言葉がわかっていた。それ程に彼の音は気持ちが表れていて、私に伝わっていた。曲の終わりと彼の言葉を待つ。その細い指が鍵盤を離れ、音が教会の隅へと消えていくまで私も言いたい言葉を待った。 「いい音だね」 言うと、彼も私と同じ笑顔でうなづいた。 「僕も驚いた」 彼の笑顔が消え、ピアノからその身体を離した。 「未帆の傷の事聞いて、未帆の事ばっかり考えて。未帆が、どういう気持ちで左手を見せてくれたのか考えてたら、何だか吹っ切れたよ」 「すごく、気持ち出せてたもんね」 彼の事ではあったけど、それは私の事のように、大切な事だった。彼がどんな選択をして、どんな言葉をかけてくれても、私はそれで良かった。私が彼の役に立てたんだから。 「音大の専門学校、行くよ。気持ちを伝えるって事ができそうな気がするんだ」 彼の歓びは一つの判決のようだった。私は彼を少しだけでも助ける事ができた。でも、もう彼は来月から東京へ行く。 自分の手で、彼を遠ざけた。彼の気持ちは手にしたのかも知れないけれど、もう会えない人に変わってしまう事は、変えられない。 「良かった。おめでとう」 言葉と笑顔を。彼に贈る。これから東京で新しい出発をする彼に。 私がもし来年音大に受かって、東京へ出るような事があっても、それまでの一年で私達は「遠い人」になってしまっている。変えられない現実。 今なら。話せた自分なら受け入れられるから、と言い聞かせる。心の中で、さよならだけを小声でつぶやいて。 明日から、違う自分で生きて行くだけ。彼への気持ちはこれ以上にはー 「離ればなれだね」 言葉が先走っていた。気が付くと、小声でそんな事をつぶやいていた。彼に贈った笑顔の名残の中で。 すぐさま、彼から顔を背けた。 彼を、祝い切れない自分に嫌気を感じて。自分勝手になるのは昨日だけと決めたのに。 「ごめん」 両手を口元に当て、彼に背を向けた。彼が、新しくスタート出来ると決めた矢先に、離れたくないなんてワガママは言いたくなかった。 「ごめん」 彼への言葉が浮かんでこない。これしか。同じ言葉を、何度も言った。 彼は何も言葉を返してはくれなかった。 せっかく自分の全てを伝えた人に嫌われてしまった。そう思った時だった。 彼の両手が、そっと私を包んでくれたのは。 背中に感じるのが彼の体温だと気づいたのはその後だった。 「東京で」 彼の言葉が、すぐ真後ろから聞こえた。言葉の温度すらわかる程に。 「東京で会おう。一緒に音大、行こう」 「一年も。会えないよ」 彼の腕の中で。意地悪な事を言ってる。自分でもわかってる。でも、もう少しだけで良い、もう少しだけ、彼の言葉が聞きたい。 「一緒に、行こう」 解決なんてどうでも良かった。本当は一年なんて長いとも思ってない。ずっと、これが聞きたかった。 彼の腕の暖かみ、背中に感じる体温、髪に触れる彼の言葉、全てが心地良かった。 小さく、うなづいた。 広く、大きな教会の中で、彼の腕の中に身を任せた。十字架が私達を見ていた。私は、彼の腕の下で小さく十字を切った。彼と一緒にいる事を誓って。 Shinobu Presents
桜舞う雪道を-
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