Shinobu Presents
栞の部屋のドアを閉じると、急に夜の静けさが訪れる。音のない廊下で私は今閉めたばかりのドアのノブをつかんだまま、動くことをしなかった。 さっきの栞の態度、あれは普通じゃない。私の言葉の後から急にあんな風になってしまった。 あの何かを内に抑えた態度は私の中で嫌な予感を膨らませるには十分だった。そして思い出される彼女の言葉。「私はもっと理性的なのが良いの」 ..それはもうある意味では私の中で一つの答えとなって出来上がってしまった。 私は正直言うと自分に自信はない。しかも彼女の方が長く一緒にいるのだから、私なんかはもうあきらめるのがベストだと、勝手に心の中で誰かが決断していた。 心がもう動かないくらいに固まると、私はやっとその重い足を動かして、リビングの方へと向かった。そっと、あまり足音を立てないようにリビングに入ると、さっき私が座っていた場所と同じ所に栞は座っていた。前にある小さなサイドテーブルには何かの飲み物の入ったグラスと、もうひとつ、空のグラスが置かれていた。 「やっと来た。遅いよ」 彼女はソファに深くもたれかかって、横目で立ったままの私を眺めた。私はとりあえず、彼女に先に言っておきたかった。自分の中ではまず引っ越してきたばかりの私を助けてくれた彼女が一番大切なのだ。彼女を失うのは嫌だ。例え何があっても。 「栞、私..」 「いいから座って。とりあえず飲もうよ」 言って彼女はサイドテーブルにおいてあったグラスに、同じくおいてあった何かを注ぐ。少なくとも割と綺麗な瓶だから何か高い物じゃないか少し心配してしまう。 私は彼女の隣に座ると、ほとんど透明に近い黄色の水面がゆらゆらと揺れるグラスを手渡された。 「未帆が来るまでにね、ちょっと失敗したなって思ってたの」 彼女の言葉に、私は意味が分からずにただグラスを手に彼女の目を見ていた。 「私と未帆と真一と、三角関係になるかもって思ったでしょ」 と言って、彼女は笑い顔で首を傾けた。素直にそう思っていたので自然とうなづいていた。 「大丈夫。そんなのないから。私、真一を紹介するときに言ったでしょ? 基本的に自分よりもセンスのいい男はやだって」 確か、そう..言っていた様な気がする。じゃあ、さっきの言葉は一体どういう意味なのだろう。そんな疑問を浮かべながら言葉を待っていると、彼女は「とりあえず、飲もう?」といって、そのグラスを口にした。私も何気なくそれを口にする。初めは何かのグレープフルーツのジュースかと思った。しかし、彼女に聞いてみると、これはかなりアルコール度数の低い白ワインらしい。 私は白ワインなんてはじめて口にしたけれど、この程度ならいくらでも飲めそうな気がした。 言葉が出ずに二人でじっと、窓の外を眺めていた。この街へ来てから、この雪景色を見るのはいつも心に何か重たい物がのしかかってきた時だったような気がする。黒い景色の中にいくつかの小さな光がぼんやりと立ち、その灯火の周りには微かに降り続ける雪が見えていた..。 「私が言いたかったのはね。私が真一に気があるって事じゃないの。..でも。未帆も真一はあきらめた方がいいと思って。それをハルのいる前じゃとても言えそうにもなかったから、未帆が来るのを待ってたの..」 「..あきらめた方がいい?」 私が聞くと、その言葉に少しとまどった風に彼女は私を眺めた。私の言い方が怒っているように聞こえたのだろうか。とりあえず、栞に不安は与えたくなかったので、軽く小さな笑顔を作って見せる。栞はまたじっと前のガラスを見て、何かをじっと考える。おそらく、彼女のことだから言葉を選んでいるのだろう。 「未帆もそう。ハルも。私も。誰ももう、彼を振り向かせることは出来ないと思う。理由は、彼の問題だから、私の口からは言えない。それは彼にあんまりにも失礼だから..」 彼女はそれっきり黙り込んでしまった。ただ、グラスのワインをゆっくりと飲み続ける。私はその横顔を見ながら、その言葉の意味を考えた。 彼の問題。誰も振り向かせることは出来ない。 ..胸に何か重いものがのしかかる。この景色にはどうしてこうも良い思い出がないのだろうか。 そんなどうでもいいことを思って、私はその透明のような黄色い水面を眺めた。
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桜舞う雪道を-
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