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第二話 「敦史君」
家に入ってリビングに荷物を置くと、その部屋は来た時とはずいぶんと違っていた。
まだバラバラではあるけれど、テレビや食器棚が置かれて、少し生活の匂いが漂い始めていた。食器棚の前にダンボールを置くと、ソファを運び終えたお父さんにさっきの男の人のことを聞いてみた。彼だけどう見ても10代だけど、一体誰なのか、と。
「確か...片山さんの所の息子さんですよね?」
とお父さんが近くにいた同僚の人に尋ねる。その人も袖で汗をぬぐいながら、それにうなずいた。どうやらその人が言うには、彼はお父さんの同僚の息子らしい。ただ、住んでいる所はここから結構遠いそうだ。
「じゃ、どうしてわざわざ引越しの手伝いに来てくれてるの? そんな遠い所から」
「確か、未帆と同じ高校...じゃなかったっけ? それで来てくれたんだと思うけど」
その言葉に私は思わず玄関の方を振り向いてしまう。今はそこにはいなかったけれど、彼はひょっとしたらここに来て初めての友達となるのかもしれないのだ。
「悪いけど、何か飲み物くれないか?」
お父さんに言われて私は、車の中で飲んでいたお茶の入った水筒を引っ張り出して、さっきの同僚の人の分とあわせて、二つのコップに順に注ぐ。
彼は...片山君?だっけ...どんな感じの人だったろうか。少し目が合っただけだから詳しくは覚えていないけれど、確かやけに背が高かった。多分私より頭ひとつぶんくらい。そしてあの重たい荷物を結構平気で持ち歩いていた。筋肉はずいぶんとありそう。運動部だろうか。あと…、髪は黒くて短かった。
しかし、これ以上はよく思い出せなかった。
覚えていないものを思い出すのはあきらめて、手元のコップをお父さんと同僚の人に渡すと、私はとりあえず玄関を出てトラックの荷台にまで行ってみた。けれどそこには彼はいなかった。結局そこにあったダンボールをまた運ぶだけの、くたびれ儲けになってしまった。
「姉ちゃん! 来てみなよ!」
重い荷物を下ろすと、二階の階段から身を乗り出した豊が大声で叫んでいた。
もう中学の3年なのに、やっている事は子供とほとんど同じだ。
そんな事を思いながら今日初めて階段を上がってみると、それは途中で一度左に折れていた。二階に出るといくつかの部屋が階段を囲むように並んでいた。
その中のひとつ、階段を昇り終えてすぐ目の前のドアが開いていて、その中には豊がいた。
「どうしたの?」
「ここ、俺の部屋だぜ! かなり広くない?」
言われて入ってみると、まだ散らかっているから何とも言えないけれど、確かに東京の時の部屋よりもはるかに広いものだった。本当に一人部屋だろうかと疑ってしまうぐらいに。
「いいだろ? 姉ちゃんの部屋は一番奥だって。俺の隣の部屋は父さんの書斎になるんだよ」
その部屋の広さに少し驚きながら、私は言われた一番奥の部屋へと行ってみた。
お父さんの書斎となる予定の部屋の前を通って、階段の周りを回るように、一度曲がって丁度、豊の部屋と昇ってきた階段を挟んだ反対側に私の部屋があった。
子供っぽいと思いながらも、少しドキドキしながらドアのノブに手をかけた。
ドアが開くと、私の部屋は家の角の部分になっていて、入った向かい側と左手には大きな窓があった。そこから裏手の冷たそうな川が見える。入ってまず冷たそうな窓を開けてみると、それほど大きくはないけれどベランダにも一応出る事ができた。ベランダの下、一階は小さな庭になっている。
はっきり言ってしまうと、引っ越してこれだけ良い部屋に入れるとは思ってもいなかった。窓の外もビルはなく、曇り空ではあるけれど、視界を邪魔するものはなかった。私はいつまでもずっとそこから外を見ていたかったけれど、そういうわけにも行かないので、仕方なく部屋を出た。ここは私の部屋だからいつでも来れると自分に言い聞かせて。
下に降りるために豊の部屋の前を通ると、豊はまだ自分の部屋の中で妙にうろうろと歩き回っていた。それを横目に階段を降りると、荷物を運び込んでいた人達はほとんどいなくなっていた。代わりにリビングからやけに人の声がするので行ってみると、引越しの手伝いをしてくれていた人達のほとんどが集まって世間話に花を咲かせていた。けれど、その中にさっきの片山君の姿はなかった。
時計を見るともうお昼の時間だ。お母さんまで世間話に加わっているけれど、お昼は大丈夫なのだろうか。私が何か作ろうかと思うと、突然玄関のドアが勢いよく開いて、買い物袋を4つほどさげた片山君が入ってきた。
「お昼の弁当、買ってきましたよ! 好きなやつ取って下さい」
と大声で言って、おじさん達の真ん中に袋をまとめて置いた。みんなで寄ってたかって袋を開けると、一体いくつあるんだと思うくらいにお弁当が次々と現れた。
片山君はその中から三つお弁当を抜きだして、呆然と立ち尽くしていた私の所にやってくると、ふいにその一つを手渡してくれた。
「...ありがとう。あの、片山君...だよね?」
私が言うと、彼はその大きな手をぱたぱた振りながら苦笑いして言った。
「敦司でいいって。名字で呼ばれたら、キモチ悪いから」
彼はその大きな身体を壁にもたれさせて、半開きの箱をどけてそのまま座り込んだ。
「敦司君、ね。私は上野未帆。好きなように呼んでいいから」
言って私も敦司君の隣に座った。隣に座り込んでも彼の方がずっと目線の位置が高い。どうしても目を見ようとするとわずかに視線を上向きにしないといけない。
「下の名前呼び捨てとかだと、怒ったりする?」
敦司君がふいに思い出したように言ってくる。
「別に構わないけど」
「じゃ、さ。未帆って、すぐに高校に来るんだろ? 俺も慶西の二年なんだけど、来るとしたらいつ頃からになる?」
彼はもう知り合って何年も経っているかのように話しかけてくる。それにある種の心地よさを覚えながら、自分の家の片づけ状況を見回すと、おそらく明日には生活出来るくらいにはなっているように思えた。
「多分、家の片づけがよっぽど遅れない限りは、明日から行けると思うけど...」
「そっか。何組になるんだろな。俺4組だから。もし暇だったら来てもいいしさ」
「うん。ありがと」
そんな事を話していると、お昼ご飯を食べ終えて世間話に盛り上がっていた人達も、そろそろ満足したようで、一斉に気合いを入れるように全員で立ち上がった。
「そろそろか。今日もし早く終わったら、長野案内でもしようか?」
彼も立ち上がって、服についた埃を軽く払いながらそんな事を言った。
「うん。終わって暇があったら」
いつのまにか、彼のペースに呑まれて私も敦司君に、何年もの付き合いの友達のような話し方になっていた。彼はそれにうなずくと、空の弁当の箱をゴミ袋に放り込んで、再び年輩の人たちと一緒にトラックの方へと歩いて行った。
人が一気に少なくなった部屋の中で私は一人、さっきからほとんど減っていない手の中のお弁当を口にした。もう冷めきっていて、あまりいい味とは言えなかった。
どれくらい経っただろう。
あれから何時間か、レンジに冷蔵庫にビデオに食器、果てはベッドまで、ありとあらゆる物が運び込まれていった。全てが終わってお父さんとお母さんがお礼を何度も言い回った頃には、もう日が暮れかけていた。
お父さんの会社の同僚が帰っていく中、私は敦司君を送りに出ようと、玄関の前で靴を探していた。いろんな人が通ったせいで、変な所に靴があったりする。やっと見つけて外に出た頃には、敦司君は近くに停めてあった原付に鍵を差し込み、ヘルメットを頭に乗せていた。かかとを踏んだ靴で雪道を行くと、積もっていた雪がかかとに触れて少し冷たい。
「今日、ありがとね」
私が隣で言うと、彼は軽く首を横に振ってから眼鏡を取り出した。
「長野案内、できなくて悪いな」
その眼鏡をかけると、彼はまた少し違う雰囲気の人のようにも見えた。
「いいよ、多分明日、学校でも会えるだろうし」
「そうだな」
言って二人して意味なく笑う。長野の冷たい空気が肌に触れて、少し寒い。彼も自分のコートのボタンをしめなおす。
「それじゃ、また明日」
「うん」
それだけ言うと、彼はエンジン音を響かせて、雪の間からのぞくコンクリートの道路を小さな原付で遠ざかって行った。
私はその後ろ姿が見えなくなると、赤から紫へと変わりはじめた空を見上げてから、玄関へと戻って行った。
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