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Shinobu Presents

第十三話「けれど来ない」


昨日より寒さがぐっと厳しくなった朝だった。さすがに手袋、コートにマフラーというフル装備になってしまったが、電車にのるとマフラーと手袋は邪魔になった。それらを両手に抱えながらいつもの流れる雪景色を眺める。白い屋根が連なり、車もかなり速度を落として徐行していた。学校のある駅で降りると今日は人が少ない事に気付く。乗る電車がいつもよりも二本ほど速いので、さすがにこんな時間に来る生徒は少ないようだ。
理由もなくこんなに早く来たわけじゃない。私は一人、人のいない玄関で靴を替えると、どの玄関から来ても通る通路で鞄を置いて壁にもたれた。こうして、朝の冷たい廊下で彼を待つ。別に約束なんかしていないけれど、どうしても早めに会っておきたかった。
今日は、中間テストの三日前だからもうクラブの朝連もないので通る人も少なく、しばらく時間が経ってやっと何人かの人が目に付いた。前を通る人の中には、たまに横目でこっちを見ていく人もいるけど気にしていても仕方がない。とにかく真一君に会って謝らなければならない。自分が原因を作っておいて、守ってくれた人を冷たく扱うなんて最低だ、私は。
じっと待ち続ける。しばらくして、敦司君や栞が登校してくるけれど、二人と話はするけど絶対教室へは行かない。彼が来るまでは。
栞が別れ際に「寒いから、無理しないでね」と言ってくれる。次々と来るクラスメートに挨拶しながらも、その中に真一君がいないか探し続けた。
30分は過ぎただろうか。もう予鈴のチャイムが鳴っている。でも、ひょっとしたら遅刻寸前で走り込んでくるのかもしれない。そう思うと私は自分の出席の事なんて考えずに、玄関に荒れた息で走り込んでくる他クラスの生徒を見ながら、自分の中の焦りを抑え続けた。来ないんじゃないかという不安がわき出すと、もうそれは止められない。時計を見ると、チャイムの鳴る一分前。
誰も来ない。ざわざわと近くのクラスから、授業前のざわめきが聞こえてくるだけだった。
そして、授業開始のチャイムが冷たい廊下に響き渡った。玄関には誰もいない。急にふっきれたように、体中にけだるさがやってくる。私は走ろうとも思えず、冷たくなった鞄を取り、重い足取りで教室へと向かいゆっくりと階段を昇り始めた。
彼は来なかった。ひょっとしたら、私の態度に嫌気がさしたのだろうか。もう私の顔なんて見たくもない、と。二階に上がると、もうざわめきは消えていて、先生の大きな声での英語の発音が閉められたドアの隙間から漏れて聞こえた。
自分のクラスのある三階へと再び、止まった足を動かしはじめる。
どうしたらいい? 出席なんてどうでもよかったけれど、彼が来なかったという事実だけは本当に胸に溜まっていく。彼への罪悪感がとても重く、私が階段を昇ろうとしてもその重みでろくに足が上がらない。何度も階段の途中で止まって、じっと考え込む。どうすればいいのだろう、と。
答えは出ずにまた段をひとつ、またひとつと昇る。三階に着くと窓の外には綺麗な白い景色が広がっていたけれど、それはいつもよりずっと哀しい風景に見える。目線をそらせて、手前の自分の教室のドアを開けた。
先生が遅刻した私を無言で見つめるけれど、先生の視線は別に気にならなかったし、クラスの皆の視線も同じだった。私にとって今大事なのはそんなものじゃない。

その日の授業は全く身にならなかった。何を聞いても右から左、友達の会話も上の空。お弁当もほとんど食欲がなくて残してしまった。
もう嫌われたのかもしれない。
ただ、その想いだけがじっと心の奥底に沈み込んでいた。
「未帆ぉ..。どうしたの?」
恵美が隣に座って声をかけてくれるけれど、私にはほとんど頭に入っては来なかった。
「別に..。何にもないよ」
「うそ。何かすごく無理してる。ねえ、どうしたの?」
その言葉は私を心配してくれてのものだから、嬉しい事は嬉しかった。けれどその嬉しいという気持ちも鬱の前には、あっさりと押しつぶされて形がなくなってしまう。
「本当になんでもないから..。気にしないで。ごめんね」
それだけ言うと、私は机に頭をだらんと乗せて恵美と反対側を向いて、目を閉じた。
恵美にはひどい事をしている。でももうある意味ではどうでもよくなっていた。今日はもうどうでもいい。明日、もしいつも通りになっていたら、その時は謝るなりすればいい。もしこのまま鬱なら、それこそ明日も明後日もどうでもよくなってしまうけれど。
六時間目が始まり、そして私は一時間この姿勢のまま終わり、授業終了のチャイムが鳴った。栞は今日何度めかの心配をしながら、私の隣の席に座った。
「真一さ、生徒会室なら来てるかもよ」
その言葉だけは今日、たくさんかけられた声をよそに、唯一私の中にはっきりと入ってきた。そしていつの間にか私は起き上がっていた。自分の鞄を探す。栞はそれにあわせて立ち上がり、「行こっか」と言って私の手を取った。
廊下に出ると、走って階下へ降りて、渡り廊下も先生の目も気にせずに駆けていく。各クラスのある棟から、生徒会室や職員室のある棟へと移る。二階の端、閉まった生徒会室のドアの前に立つと、荒れた息のまま立ちつくす。それに手をかけるのがひどくためらわれた。けれど、栞はそんな私を見てあっさりとドアを左手で開けた。
中は窓から入る光で明るくて、机は外からの雪の反射光をさらに跳ね返していた。その長机の傍に足を組んで座り、雑誌を開いていたのは敦司君だった。ドアの手前に立つ私を見ると「よっ」といつものように声をかけてくれる。
「ね、敦司。今日真一って学校来てんの?」
栞は鞄を机の上に投げて、ロッカーの隅に隠したお菓子を取り出す。
「ああ、今日あいつ、用事あって遅れたけど学校にはちゃんと来てるぜ」
「真一君、どこにいるの!?」
思わず、大きな声で尋ねている私がいた。彼は少し驚きながら姿勢を正し、私を見て遠慮がちに言った。
「多分、音楽室だと思うけど..さ。何か、楽譜持ってて..」
「わかった、ありがと」
急いでその部屋を出ようとして、ドアを半分開けた時にふいに私は足を止めて彼の方に振り向いた。
「..敦司君」
「うん?」
彼は姿勢正しいままで私を見た。
「この前は、ごめん。なんか助けてもらったのに泣き出したりして..」
「いいさ、そんなの気にしなくったって。俺、そんなに繊細な奴じゃねえからさ」
と笑うと、栞もそれに同意する。彼はそんな栞に手元の消しゴムを投げつけたりする。
「ありがと」
その言葉はとても声が小さかったから、本当に二人に届いたかどうかは分からなかったけれど、私は半分開いたドアから出て、後ろ手でそっとそれを閉めた。
ドアの閉まる音を聞くと同時に、今度は音楽室へと走り出していた。

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