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Shinobu Presents


第十二話「時間を止めて」


平日なので病院には外来の人は少なく、入院患者の人達が幾人か見当たるだけだった。看護婦さんも今日はさほど忙しそうでもなく、ゆっくりと雑談しながら各病室を回っていく。エレベーターに乗り、4階の角の病室へ入ると、今日は私が来るとは思っていなかったせいか、おじいちゃんは静かに寝息を立てていた。
私は起こさないように、静かにイスを引き寄せて、鞄をその辺に置いておじいちゃんの隣に座る。いつもこの場所に来ると、おじいちゃんの昔の話を聞いたり、私の学校の話をしたり、果物を切ったりしていて、何かする事があったけれど今日は突然の事だから、これと言ってする事は何もない。
ただ静かに眠るおじいちゃんと、窓の外の雪景色を眺めるだけ..。
4階の窓から小さく見えるバスが病院の前に止まったかと思うと、急いで次のバス停に向かって走りはじめる。病院の前を流れる川はもう水量も少なくて、来月くらいには凍ってしまいそうな様子だった。その川の上に架る橋を小さな車の列が流れて行き、歩道と車道の間を高校生の自転車がすぎていく。
どれも音が聞こえないせいだろうか、この病室の中だけはまるで時間が止まってしまった様な、そんな気がする。時が次から次へと流れていく世界をよそに、この病室だけ取り残されている。
ある意味では..それが病院の目的なのかもしれない。外のあわただしい世界と離れて、時の流れの遅い..今にも止まってしまいそうなこの場所でゆっくりと病を治そうというのかもしれない。でも、それはおじいちゃんにとっては辛い事なのだろう。時間の流れ方が違うから、誰もここへは来ないし、来たとしても自分よりずっと早い時間の中で生活している皆はまるで別の世界の人のように見えるのだろう。
私がここへ来るたびに、「外を歩いてみたい」とこぼしていた理由も今ならわかる気がする。
外を眺めるのをやめると、自然とおじいちゃんの寝顔に目がいく。その優しい顔立ちはいつもと同じだったけれど、何も話さないおじいちゃんは少し違う人のようにも見えた。
優しい。この人はとても優しい人だと思う。誰も傷付けないようにワガママや自分勝手な事は絶対に口にしない。父が一家の家長という時代の真っ只中を生きてきた人なのに、そんな様子は全く見せない。私はそんなおじいちゃんが好きだった。
その優しさが。
でも、優しいだけが好きというのは、もう自分の中で信じられなくなってきている。それはとっくにわかっている。そしてそんな風に思ってしまう自分に嫌気が差す。真一君とおじいちゃんとは全く関係ない。彼が人を傷つけたからといって、同じように優しいおじいちゃんまで嫌う理由はどこにもない。
あの優しい人が誰かを蹴って傷付けて..。
そんな事があるなんて思ってもいなかった。別に絡んできた男の人を庇うつもりなんて全くない。それは相手が悪いだけで、真一君は全く悪くない。最初に暴力を振るったのは..確か向こうの五人だった。そしてそれを敦司君が何とかしていた。
これだけ時間が経つと、あまりリアルには思い出せないからじっくりとあの日の事について考える余裕ができる。一度イスに座り直し、もう一度思い出すため時の止まったこの部屋を一望する。
そう、そして敦司君が三人を動けなくした時に男達の一人が私達の方へと走ってきた。それを止めようと、真一君が私達の前に立って..あの男を。

「ん..」
おじいちゃんが小さく寝返りをうつ。ずれた布団をもう一度かけ直し、枕の位置を整える。布団のこすれる音が消えると、また同じ静寂がこの部屋の中にやってきた。
ふと、自分の中に思いつく。もし真一君が何もしなかったらどうなったのだろう。
答えは火を見るより明らかだった。決して、想像もしたくないような結果。視界が少し暗くなる。そう考えると、私は勝手な怒り方をしているのだろうか。
自分を守ってくれた人に対して批判していることになる。胸の奥に気持ち悪いものが沈んでいるようだった。時の止まった部屋では、何も惑わすものがないせいか、自分の気持ちがよく見える。
考えがまとまってくると、自分のしたことの馬鹿らしさもはっきりしてくる。
私は眠ったままのおじいちゃんの横でじっとそんな事を考えていた。時計を見ると、もう面会時間も終わりに近づいていた。ここで起こしても仕方がないので、私は来た時と同じように音を立てずにイスを元の場所においてドアを半分開ける。
「また来るね」
小声で言い残して、そのドアをそっと閉めた。廊下を歩いている間も、時間が経てば経つほど、胸を占める罪悪感が大きくなってくる。
病院を出て、雪に押し潰されそうな小さな駅のホームで待っている間に、自分のコートの襟元を触ると、いつもそこにあったものが無い事に気付く。コートの下に隠れていた十字架は今日はあのイスに引っかかったままだ。彼がくれた大切なもの。
空気の冷たい駅のホームで、私はただひたすらに電車を待ち続けた。


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