私が今の会社に入ってすぐの頃です。
突然、とんでもなく納期の厳しい仕事が入って来たんですね。
もうどんなに頑張ってもギリギリ、あるいはもう「ごめんなさい」を
言うしかない、というような際どい状況でした。
その状況で、私は先輩にこう言ったんです。
「何とか乗り切ってみせますよ」
と。
確かに厳しいけれど、何とか頑張ろう。そんな意気込みでの言葉でした。
その言葉を聞いた、尊敬する先輩は私にこう言ったんです。
「そんな受身な考え方はやめろ」と。
先輩が反応したのは、私の「乗り切る」という言葉でした。
この言葉から、私が「受身」だと感じたんですね。
どういう事なのか、私は理解できずに先輩に聞いてみたんですね。
すると、先輩はこう答えました。
「『乗り切る』じゃない。『やり切る』んだよ」。
「乗り切る」と「やり切る」。
どちらも非常によく似た言葉ですよね。
しかし、先輩の言葉で言いますと
「乗り切るってのは、与えられた仕事をこなす事だけ考えてる言葉だ。
やり切るってのは、その仕事を完璧な形にまで "自分で" やるって意味だ」
ほんの些細な違いです。
しかし、とても大きな違いですよね。
言葉は、それ単体である訳ではなくて、
その奥にある自分の考え方を表すものです。
「乗り切る」を使うのか、「やり切る」を使うのか。
その違いだけで、その人の仕事に対する考え方が見え隠れしてしまいます。
これと同じ事が、どんな言葉にでも起こります。
小説、詩、ブログ、メルマガ、メール…。
ありとあらゆる文章です。
私がメルマガで何度も
「自分の考えを自分の言葉で。技術はその後です」と
書かせて頂いているのも、そのためなんですね。
人は技術に惚れて読んでくれる訳ではありません。
その書き手の感性、考え方に惚れて読んでくれるのです。
技術をどれ程に磨こうとも、
例えば、仕事に激しいこだわりを持つ方が
「乗り切る」という言葉を使う方の文章に惚れるか、と言われると
答えはおそらく「NO」かと思います。
ほんの些細な言葉がその人の個性になり、考え方にもつながります。
だからこそ、一文一文を大切に書いていきたいものですね♪
勢いで適当な言葉を選んで書いていては、
本当にその文章が自分の本心と同じになるかはわかりません。
そんな本心ではない文章に、誰かが「共感しました!」と
励ましのお便りを下さったとしても、
おそらくそれは、喜ぶ事が出来ないんじゃないか。
そんな事を感じています。
文章にこだわっていくと、綺麗な言葉や、人の目を引きやすいキャッチコピーに
どうしても目が行きがちになりますが、
本当に大切なのは、「自分の想い(考え方)」と自分の書いた文章が
ちゃんとイコールになっているか、ではないのかなと。
そんな事を想う今日この頃でした。
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